
正直に言うと、最近、少し落ち込んでいました。
動画を撮るのも遅れて、ブログも思うように書けなくて。気づいたら1週間ほど、止まっていました。
そんな中で「こんな記事を書いてしまった…」と、あとから読み返して、ちょっと恥ずかしくなった記事があります。
でも今は、あの記事を書いた自分も含めて「これもmeihaseedなのかもしれない」と思っています。
meihaseedって、どんなものなんでしょうか?
私がmeihaseedを考えるとき、いつも浮かぶイメージがあります。
それは、
自分が少し優しい気持ちになると、それがじわっと広がって、幸せが伝染していくような感覚。
……とはいえ、「いや、それが本当にできたらいいよね!?」とも思います。
ふわっとしすぎているし、きれいごとに聞こえるかもしれない。
でも、この感覚をもう少し現実的に言葉にすると、meihaseedはこんなものだと思っています。
「優しい気持ち」=いい人になること、ではない
meihaseedで言う「優しさ」は、
- 前向きでいよう
- 元気に振る舞おう
- 誰かの役に立たなきゃ
そういうものではありません。
むしろ逆で、
- 力まなくていい状態
- ちゃんとしなくていい状態
- 正解を出さなくていい状態
その人が、少しだけ自分を守らなくてよくなったときの「ゆるんだ状態」に近い気がします。
なぜ、それが「広がる」んだろう?
人は、無意識のうちに相手の空気をとてもよく感じ取っています。
- 声のトーン
- 言葉の間
- 急いでいるかどうか
- 判断が早すぎないか
誰かが少し整うと、周りの人も、自然と力を抜ける。
「急がなくていいんだ」「ちゃんとできなくてもいいんだ」
そう感じられる空気が、言葉より先に伝わっていく。
だから私は、「幸せが伝染する」という表現は、あながち間違っていないと思っています。
meihaseedは、人を変えようとしない
meihaseedは、
- 教えるものでも
- 導くものでも
- 正解を示すものでもありません
誰かを変えようとした瞬間、たぶん、この感覚は消えてしまいます。
むしろ大切なのは、
- わからないまま話すこと
- 遅れている自分を隠さないこと
- 落ち込んでいる状態を否定しないこと
それができると、「この場は安全だ」と相手の心が勝手に判断してくれる。
meihaseedは、人を変えずに、場を変えてしまう状態なのかもしれません。
動画が遅れたことも、失敗じゃなかった
動画を撮るのが遅れて、「ごめんなさい」と思ったけれど。
今振り返ると、この1週間も、無駄ではありませんでした。
- 落ち込んだこと
- 止まってしまったこと
- それを隠さずに言えること
それ自体が、誰かにとっての安心になることもある。
meihaseedは、完成した姿から始まるものではなく、揺れている途中から芽が出るものなのかもしれません。
いまの私なりの定義
今の時点でのmeihaseedを、一言で表すなら、こうです。
人を変えようとしないまま、場をやわらかくしてしまう在り方。
きれいに言えなくてもいい。遅れていてもいい。未完成でもいい。
そんな状態からでも、ちゃんと芽は出る。私は、そう信じています。
おわりに
もし、「ちゃんとできていない自分」を少しだけ責めている人がいたら。
meihaseedは、“整ってから始めるもの”ではないよ、と伝えたいです。
今のままでも、ちゃんと、種はある。
芽が出るタイミングが、少し遅れているだけかもしれません 🌱

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